
Vo Gt
サカイユウジ
Ba
スガノキュウゼ
Ds
キンタカトモヨシ
自己紹介 サカイユウジの場合 振り返るといつの間にかこんなに歌が出来ていた 決して溢れ出てきたりはしなかったし どんなにつくっても幾十年つくり続けても また新しくつくる歌には自信をもって不安しかなかった 誰かが傷ついていたのに歌を止めることは出来なかった 楽しいことは全く楽しくなかったし 悲しいことも苦しいことも文字をおこすことで 勝手に昇華した嗜虐的な自分は無責任を貫けなかった 私は生きていることと生きていくことがとても恥ずかしかった 他者の目が微塵も気にならない有態が 意思で溢れたように映ることも恥ずかしかった その恥ずかしさのお陰で無意識ではあるが しかし無制限の自信を私の中の私に落とし込めた 私は胸を張ってありとあらゆるほぼ全ての物事を全力で諦めていた 恰好が良いことは一瞬で恰好が良くなくなったし 集団合意形成の過程での相通ずる寛容な態度が バランスの欠けたこれまでの私と同等に今の私が賑やかに低温だからだ 時代に乗り遅れている私は私より更に乗り遅れている人に嫉妬していた 新しさに嫌われたしなやかな結晶の無限の系列のような 愚者と危険な疑問符にそつなく変化発展いていく それはむしろ全然何もしていないと彼等には見える事への歓喜の嫉妬である 私は言葉に無制限の信頼と敬意をもっていた しかしそれは熟成された言葉だけで鮮度はいらなかった すらすらと読むことの出来ない砂利道で台車を曳くような カタルシスとは対照的なカタルシスで異物の恩恵を浴びていたいからだ 私は矛盾が化膿した完全を選択する場合における疎外感を受け入れていた 私の正解はどんな時でも正解ではなかったし 目的の運動と達成の高揚に浮かれるほどの受動的包容力も持ち合わせておらず 私は正しくないのだと正しく理解することで確信犯的背徳感を蹴散らしたのである 私は何をしたかなんかよりも何のためにしたかしか興味がなかった 自己は追い込まれた時の多数決同様の危うさ内包しているし 直接的と思われる原因の間接的な原因が自己保身または他者排除である場合 曖昧なリアリズム程度の自己肯定なら焼け野原から夜明けはやってこないのである まだ書き足りないがこの辺で一旦手を止めよう これはキンタカトモヨシ氏からなんか書いてくれと頼まれ快く応じたものである キンタカさんとの付き合いは無駄に長く社会に無駄な歌ばかりを作り続けてきた ありがとうキンタカトモヨシまだまだ作り続けよう 次回はそんなキンタカ氏の自己紹介にバトンを渡したいと思います お楽しみに サカイユウジ
不本意な自己紹介 キンタカトモヨシの場合 まさかのブーメランが飛んできた。そうきたか。オレはバンドのホームページがせっかくあるのだからサカイにはバンドプロフィール的なものを書いてくださいと頼んだのであって、なんか書いてなどと曖昧に伝えてはおらず、自己紹介ではないのであって、ましてやオレを巻き添えにしてくるということは当然その後スガノキュウゼも同じ目にあうということである。先週のスタジオあがりにいつものようにコータの店で呑んでいて去年より頼んでいる作文は書けたか?と催促したところがこの有り様だ。今も「スピード感を持って」などとメッセージがはいった。さっきメールがきて今書いている。超スピーディだ。サカイユウジはいつもそんな感じで一筋縄ではいかない。今から246十三で練習なのだが、サカイが今登場。「ナイスアイデアやろ」などと満面の笑顔でケラケラ笑っている。 1989年12月30日バハマで対バンした「コマデア」。ヴォーカルがサカイユウジ。こいつらめっちゃええバンドや こんなんおるんやな 衝撃がオレを襲いサカイと大阪一 日本一 世界一のバンドを作ってやる衝動にかられ行動に出ることに。まずはバンドを辞めた。バンドで食っていくことを夢見る青年であったわけでドラムはさほど上手くはないものの情熱では誰にも負けない自信と不安の塊だったオレが古巣「ドッグハウス」のみんなを裏切ってまでして身をキレイにしたのだから当然サカイとNEWバンド結成ができるものと考えていたのだが、考えもしなかったがその考えは間違いだった。 「コマデアあるからムリやわ」 困った。全く予想外の展開だ。当然といえば当然なのだが、そうきたか。前しか見ないオレだがどうしたものか。いっそスタジオミュージシャンを目指すか。まずはフットワークが軽くなくてはならないと車を買った。360ccステップバン。車庫証明が不要であったため年中路駐と今では考え難い行いであるが、当時なんの違和感もなかった。ひょんなことから昔からの知り合いの「あ〜ばんど」(後にアトミックバンドとなる)で叩くことになったオレは相変わらずのカンジで叩いていたのだが、ボーカルギターのリュウちゃんが「ゲッツ」の笠ヤン達となにやらムーブメントを起こそうと息巻いている。裏大阪の当たり前「どてらいロッカーズ」のはじまりである。 「どてらいロッカーズ」とは当時イキのいいバンドが集まった集団で、「あ〜ばんど」「ゲッツ」「レベルイエル」「クライ」「バッドJ」まだ車椅子に乗っていない「口石和人テキヤブラザーズ」 のちにもう死んじゃった「おしょうさん」や3人娘「THE NEWS」らも呼んだりして同じステージ上でステージ外で日夜シノギヲケズッテいた。その日は尼崎VIP2ホールで「あ〜ばんど」のライブ。リハが終わっておもてに出るとそこにサカイとセイノ。 「俺たちもきれいになってきたよ。やろか。」 「青天上」結成の瞬間である。 つづく。 -------------------------------------- ということで次はスガノキュウゼさんお願いします。合わせてサカイユウジさんもポツポツ書き進めていただければよろしいかと。不定期でコレを更新してみたりしようか。 こういうのってブログにしたらいいじゃないのかと思うし、バンドプロフィールは相変わらずありません。こんなカンジになっているのは紛れもなくサカイユウジさんの仕業です。一筋縄ではいきません。 -------------------------------------- その日は穏やかな日であった。初めての街 彼等の街 庄内の細長い公園の土手の横のスタジオがNEWバンドの初練習場所。公民館風のだだっ広いフローリング。いよいよ始まる。そうそうこの声だ。この声にやられたんだ。カセットテープで幾度となく聞いた。胸が震える 緩急激しく叩く。挨拶代わりにぎこちない音をぶつけて一発目終了。ゴロッとした重い手ごたえを感じた。しばらく飲みを重ね互いを語りバンド名は「青天上」と決まった。サカイが持ってくる原石はバリバリのフォークソング。コレをゴリゴリのロックサウンドに変換する。エイトビートに頼りたくないオレは、なるべく奇妙でなるべく変なタイコでサカイのうたをなぞっていった。 その後俺達は水を得たサカナのごとく勢いに乗り新曲はみるみる仕上がっていった。10ヶ月程度の充電期間を経た翌年 満を持して出会った場所 アメ村の今は無きライブハウス「バハマ」でファーストライブを行う。叩いて叩いて叩きまくって世に出てやる。 ライブも精力的に行い、仲間にいれてもらった「どてらいロッカーズ」の連中もサイコーだ 夜な夜な飲み屋で語り合う。シノギヲケズッテル感ハアル しかし。 ここじゃない。目指すモノを勝ち取るためそろそろ行かなければ「東京」 ライブに行くんじゃない。拠点を移す。俺たちならやれる。行かないと前に進まない。向こうにはここに無い鍵がある筈。機は熟した。パワー満タンだ。 サカイに意を決し「次へ行こう」伝える、が、かえってきたのは想定外のコトバだった。 「音楽は日々働いてつくるもの。音楽だけの生活では音楽は産み出せない。だから東京へは行かない。○○は目指さない。」 衝撃的な言葉 そんなことってある? 一筋縄ではいかないんです。 つづく -------------------------------------- たしかなコトはコレまでの一般的俺的常識を超えていかないと道は閉ざされてしまうということ。当時バンドマンは安定するとダメだといったなにやら説教臭い二兎追う者一兎得ずの考え方を刷り込ませた言い伝えみたいなものが蔓延っており実際オレもそうなのだろうと考えるひとりで疑うすべを知らなかった。しかしこうなった以上 やり方や カタチ はひとつでは無いと証明する他なくなったみたいだ。受入れるのに少しの時間がかかったが固い決意のもとなんとかしなやかにやって行くほかない。コレがオレたちのやり方でコレでカタチをつくるんだと。 日日の仕事を精一杯やる当たり前。スタジオの日にしれっと帰っても文句は言わせない。だからそれ以外の日は仕事仲間の誰より沢山良い仕事をする。誰にも迷惑かけない様にやるべきことを全てやりきっておく。出来るだけ完璧に。俺にはもうひとつやらねばならない事があるのだから。地味にキツいが充実度は高い。時に仕事が忙しくてスタジオに行けないと連絡しても「仕事頑張ってや」と言ってくれるメンバーがいる。だから頑張れたし、ここまでやって来れている。 そんなカンジで日日を過ごしていて、スタジオでの曲作りに軸足を置いており ライブは少なめであるが、ライブバンドのつもりでいる。本番当日リハが終わって出番までのあいだ緊張もするし、何をすれば良いのかよくわからずふわふわと持て余すカンジだけは未だに馴染めずにいる。 これまでたくさんの曲を作ってきた。サカイの唄が求めてるドラムを今もずっと探し続けている。結成以降前任ベーシスト セイノといっときCHEVILL (青天上バンド内近親相姦)をやったがそれ以外青天上以外で叩いたコトが無い。(ウソです。今はなきスローハンドのセッションで数曲あります。でも多分その程度です。) 俺のタイコは青天上専用。音楽、バンドをやってるのではない。 俺は青天上をやってる。 つづく -------------------------------------- 結成から現在まで「青天上」 期ごとに追ってみる。 1990年〜1991年 零期 Vo. Gt. サカイ Gt. カクチャン Ba. セイノ Dr. キンタカ Vo. Gt. サカイ Ba. セイノ Dr. キンタカ Vo. Gt. サカイ Gt. ミツオ Ba. セイノ Dr. キンタカ 現在スリーピースの青天上だが結成当初はギタリストが必要だと考えていた。 しかし初代ギタリスト(と呼んで良いものか?) カクチャンは数回のスタジオで離脱。スリーピースでファーストライブをした後しばらくしてミツオ(元コマデアのギタリスト)がはいるのだがこれまたすぐ抜けた。ギタリスト両者 唄がキツい、あとの三人がキツい、などと言ってそそくさと離れていった。ひとくくりの零期としておく。全く構ってなどいられない。 1991年〜2006年 一期 Vo. Gt. サカイ Ba. セイノ Dr. キンタカ 3人でやる、しかない。サカイはギターは下手すぎたが声が絶対的。スリーピースのバンドはたいそう格好がよろしいということで。サカイはヴォーカリストであって、ギタリストではない(実は昔、ハードコアバンドでマシンガンギターを弾いていた経歴アリ)のだからギターの腕前に関して世間は大目に見てくれるだろうと無責任に強引に推したのはオレだった。バンドは楽器のテクじゃない、楽曲のアレンジである。 2005年〜2016年 二期 Vo. Gt. サカイ Gt. スガノ Ba. セイノ Dr. キンタカ スリーピースで十数年。まあまあ確立されていたところへなんとギター加入希望。どてらいロッカーズの盟友しんば率いる「レベルイエル」は東京に行ってぶっ壊れたバンドだ。そこの二人いるギタリストうちのひとりスガノキュウゼがその人物。それまでにもレコーディングでちょっとだけ参加してもらったりはしていたのだが。(「ダーリンノー」のギターソロは彼が弾いている。) モノトーンな俺達に色彩を与えるが、ギターソロパートなんて今までの曲にはなかったし、歌のバックっていう意識はリズム隊のふたりは持ち合わせていなかったため、楽器のあり方を少し考えることになっていく。これまでの3人のほうが良かったなどというノスタルジックな声は加入当初当然聞こえてきた訳だが まぁまぁまぁまぁ 俺達4人が「青天上」 曲が分厚く長くドラマチックになっていく。 2017年〜2021年 三期 Vo. Gt. サカイ Ba. セイノ Dr. キンタカ 三期というか十年ほど経って元の一期に戻った。リードギターみたいなのは不要ではないのか、青天上にはサカイのギターくらいがスッキリしていて丁度いいのではと考えた結果だ。「瑠璃と群青」の原型はスガノキュウゼ加入前に既に出来上がっており、そこへギターをかぶせていったカンジなのでギターがなくてもライブでやれるが、「GOD」は4人で作っていったもんだから3人では成立しづらいという事態が生じ、また更に「青キ天上」は4人で原型を作ったがレコーディングは既に3人になっていた為、スリーピース用にアレンジし直したから、ライブも問題ない、といった様な内輪の事情がアルバム毎にあったりして何か面白味がある。 サカイのギター歴は無駄に長くそこらへんの達者なギタリストになど全く負けていない。(ギター歴が...) 2022年〜現在 四期 Vo. Gt. サカイ (現在) Ba. スガノ Dr. キンタカ セイノコウジ戦線離脱。30年以上続いたスリーピース崩壊。まさに熟年離婚。しばしサカイと「ふたり青天上」を模索してみる。歌とタイコの闘いによりキワモノの極みとなる事で成立しこれはコレでアリだが、演る方も聞く方もながく愛せるウタを量産するのは困難に思えた。やはりもう少し音楽的になる道を選ぶ。そしてそして昔のギタリストがベーシストに。ナカナカなカンジです。そんなコトってあるんです。 スガノキュウゼ ギターは達者だがベースは初心者。でも青天上を一番好いてくれている人物。現在サカイのギターの師匠も兼任しながら絶賛悪戦苦闘中。キュウちゃん無茶振りしたけどずっとよろしく。 途中もういいかなと思ったことは何度もあったが、音楽をやめていった多くの仲間達のことを都合のいい様に引き合いに出しアイツらの分までやらねばと勝手に己を奮い立たせてきたし、思い返せば何度かメンバーチェンジがあったが、永遠に続くことなど何も無いなどと感傷に浸ることなく前進あるのみと現在に至る。これが俺たちのカタチと言えるものなど何も無いけど、たくさんの曲達を時間をかけて作ってきたことは誇れるんじゃないかと思うし、作ってきた曲達、コトバは責を負う。サカイの書く歌詞はゴツゴツした塊がバランスとりながら偏りながら配列され、初めて聞く単語が羅列されていたりもして難解だったりするし、堅苦しく痛々しくヘンチクリンだが コミカルでもあり今演っても全然通用するし、恥ずかしくないというかむしろ誇らしかったりするのは、実はかなり普遍性が高くユーモアとウィットに富んでかつ愛に満ち溢れているからであるのだと最近ようやくわかってきた…様な気がしている。バンド出来たての頃は なんでもかんでも詰め込んで楽曲が勢いよく出来るのは当然だけど、長きに渡り懲りずに曲を作れるのはサカイの飽くなき創作意欲はもちろんのコト、もしかすると彼がいうところの「音楽は日々働いてつくるもの」と言わしめたなにものかがそうさせているのだとすれば、俺達のやり方は間違っていなかったのかもしれないというか なんか まんまと サカイの思う壷にハマっている様な気がしてくる。もしあの時○○を目指していたなら俺たちは今存在していないことはたしかなことなんだろうし。 サカイから無茶振りされて渋々の自己紹介だったがこうやって書いていくとなんだかこれってオレ目線のあまりに長過ぎるバンドプロフィールではないか。これまた…。 終 2024年3月 キンタカトモヨシ

自己紹介 スガノキュウゼの場合 只今 執筆中・・・・・





